教えのやさしい解説

大白法 729号
 
是好良薬(ぜこうろうやく)
 「是好良薬」とは、『法華経如来寿量品第十六』の長行(じょうごう)の中にある文で、「是の好き良薬」と読みます。
 『寿量品』において、仏の久遠常住の寿命とその化導が説かれた後、さらにこれを譬えによって示されたのが良医病子(りょういびょうし)の譬えです。この譬喩は勝れた医者が多くの子供の病を治す譬えで、釈尊の久遠以来の非生現生(ひしょうげんしょう)・非滅現滅の化導によって、一切衆生が導かれる姿が説かれたものです。

 良医病子の誓え
 『寿量品』には次のように説かれています。
 「聡明で医薬に通じた医者がおり、その良医には百人にも及ぶ多くの子供がいました。子供たちは父親が他国に出かけた留守中に誤って毒薬を飲んでしまい、悶絶(もんぜつ)して苦しんでいました。帰ってきた父親は子供たちの苦悩を目の当たりにし、効能(こうのう)はもとより、色形、香りや味わいに至るまで、すべてが調った良薬をすぐに調合(ちょうごう)して与えようとしました。本心(ほんしん)を失っていない者はその薬を飲んですぐに治りましたが、毒気(どっけ)のために本心を失った者は、その良薬を見ても疑って飲もうとしません。そこで父親は方便を設けて、『是の好き良薬を、今留めて此に在(お)く。汝取って服すべし』と言い残し、他国に行き、使いを遣わして『父は死んだ』と伝えさせたのです。本心を失っていた子供たちは父の死を聞いて嘆き悲しんだ末、本心を取り戻し、残された良薬を飲んで治すことができたのです(趣意)」(法華経 四三五〜四三八n)
 ここで示される良医とは文上教相(もんじょうきょうそう)の意義の上から拝せば、釈尊であり、また病子とは一切衆生、毒を飲んで苦しむ姿は貪瞋癡の三毒に苦しむことを意味します。

 良薬とは
 この一切衆生を救う良薬について、『寿量品』に、
 「此の大良薬は、色香美味、皆悉(ことごと)く具足せり」(同 四三六n)
とあるように、「是好良薬」とは、色や形、香りや味わいまでを悉く具えた良薬であることが示されています。
 この「良薬」について、妙楽大師は、『文句記』に、
 「漸頓(ぜんとん)に被(こうむ)ると雖(いえど)も、本実乗に在り」
と、漸教・頓教等の一代聖教に通じるが、その本意は実大乗の法華経にあると示しています。
 これに対し日蓮大聖人は、『観心本尊抄』に、
 「『定好良薬』とは寿量品の肝要たる名体宗用教(みょうたいしゅうゆうきょう)の南無妙法蓮華経是なり」 (御書 六五八n)
と仰せられ、日寛上人はこれについて、
『観心本尊抄文段』に、
 「『定好良薬とは寿量品の肝要乃至是なり』とは、文の意に謂わく、今の是好良薬は脱益(だつやく)の寿量品の文底(もんてい)、 名体宗用教の南無妙法蓮華経是れなり云云。当に知るべし、『肝要』とは、是れ文底の異名(いみょう)なるのみ(中略)若し蓮祖は時、末法に在り。故に文底下種の妙法に約するなり。法華経は一法なれども時機に随って同じからず」(御書文段 二七五n)
と、大聖人は末法に約して、『寿量品』の文底をもって是好良薬とするのである、と仰せになられています。
 即ち、『御義口伝』に、
 「是好良薬とは、或は経教、或は舎利(しゃり)なり。さて末法にては南無妙法蓮華経なり。是とは即ち五重玄義なり。好とは三世の諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり、此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり(中略)服とは唱へ奉る事なり。服するにより無作の三身なり、始成正覚の病患差(びょうげんい)ゆるなり」(御書 一七六九n)
とあるように、大聖人は末法に上行菩薩の再誕、再応『寿量品』の本主として御出現あそばされた御立場より、法華経一部八巻の要中の要たる南無妙法蓮華経こそ、「良薬」の正体であると明かされたのです。
 大聖人は『法華取要抄』に、
 「諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり。諸薬の中に南無妙法蓮華経は第一の良薬なり」(同 七三五n)
と仰せです。「是好良薬」の南無妙法蓮華経の大法は、末法濁悪の世に生まれた私たちの謗法の極大重病を悉く救済し消滅させる最勝の功徳を具えているのです。

 真の是好良薬は本門の本尊
 また、「是好良薬」について、日寛上人は、
 「『是好良薬』は即ち是れ本門の本尊なり。『今留在此』は即ち是れ本門の戒壇なり。『如可取服』は即ち是れ本門の題目なり」(六巻抄 九四n)
と、『寿量品』の文底より依義判文するとき、この文には三大秘法が宛然(おんねん)として説き顕されていることを御教示されています。
 すなわち、「是好良薬」とは、末法出現の御本仏の当体(とうたい)である本門の本尊をいい、「今留在此」とは、本門の戒壇であり、そして、「如可取服」とは、「取」とは信心、「服」とは口をもって良薬を服する、即ち妙法を唱え行ずることに当たる、と御指南されています。
 したがって、末法濁世における真の「是好良薬」とは、日蓮大聖人が一切衆生救済のために御図顕あそばされた本門戒壇の大御本尊なのです。

おわりに
 現今の社会状況を見渡すとき、様々な社会問題は「毒気深入 失本心故」によるものであり、これを打開し、浄化していくためにはより多くの人に、「是好良薬」たる大聖人の仏法を伝えることが最重要時であり、そのためにも折伏に励むことが大切なのです。